11月の17日、アントンが帰国しました。
12月の2日、ユリアントが帰国しました。
あっという間に2人いなくなり、寂しいです。
1月にはランボクも帰国するので、寂しさマックスになりそうです。
アントンがなかなか忙しくて、最後のご飯の日をなかなか決められなかったのですが、電話がかかってきてマンションに呼ばれ、休みだった娘も一緒に、みんなと過ごすことになりました。
去年の夏に会ったアントンの親戚のお兄さんもわざわざ奈良から来ていて、賑やかでした。
左の写真、
娘がアントンの部屋で見つけた水着の女の子の写真を見るやいなや、「ちょっと何あれ?誰?あの女?」と言い、爆笑でした。
さすがお笑いの娘です(笑)
ユリアントのことは、ここで書いたことがなかったかもです。
ユリとは、センターとは全く関係ないところで会いました。
日本語の勉強はしなかったみたいで、漢字がほとんど読めず、話し方も少し拙いのですが、一緒にいると、日本人の私より喋る、喋る。
一昨日インドネシアに着いたばかりですが、今朝電話をくれ、ユリの方の電源が切れるまで1時間ほど喋りました。
その間喋っていたのはほとんどユリです(笑)
ユリのお母さんは68才だとか。
インドネシアではかなりの高齢者になるらしく、65才の時にユリを見送ったのですから、ある意味、すごい覚悟をされたわけで、それはすごいなと思いました。
ユリは一人で北海道でも長崎にでもさっさと行く子でした。
アントンは、寒いからいや~~と言って、出かけるのをぐずる子でした。
ずっと元気でと、心から思います。
PR
12月の2日、ユリアントが帰国しました。
あっという間に2人いなくなり、寂しいです。
1月にはランボクも帰国するので、寂しさマックスになりそうです。
アントンがなかなか忙しくて、最後のご飯の日をなかなか決められなかったのですが、電話がかかってきてマンションに呼ばれ、休みだった娘も一緒に、みんなと過ごすことになりました。
去年の夏に会ったアントンの親戚のお兄さんもわざわざ奈良から来ていて、賑やかでした。
左の写真、
娘がアントンの部屋で見つけた水着の女の子の写真を見るやいなや、「ちょっと何あれ?誰?あの女?」と言い、爆笑でした。
さすがお笑いの娘です(笑)
ユリアントのことは、ここで書いたことがなかったかもです。
ユリとは、センターとは全く関係ないところで会いました。
日本語の勉強はしなかったみたいで、漢字がほとんど読めず、話し方も少し拙いのですが、一緒にいると、日本人の私より喋る、喋る。
一昨日インドネシアに着いたばかりですが、今朝電話をくれ、ユリの方の電源が切れるまで1時間ほど喋りました。
その間喋っていたのはほとんどユリです(笑)
ユリのお母さんは68才だとか。
インドネシアではかなりの高齢者になるらしく、65才の時にユリを見送ったのですから、ある意味、すごい覚悟をされたわけで、それはすごいなと思いました。
ユリは一人で北海道でも長崎にでもさっさと行く子でした。
アントンは、寒いからいや~~と言って、出かけるのをぐずる子でした。
ずっと元気でと、心から思います。
Comment